科学者の考えるスピリチュアルの話
「科学とスピリチュアル なんて真逆じゃないか。」と思うかもしれません。
科学者であり、ヒーラーである私としては、これを、真逆であり、同一でもあると捉えています。今のところ、私がこう思うというのを書いてみます。
「自然や宇宙、ありとあらゆる『在るもの』をどう捉えるか」というのが起点にして、それを客観的に捉えるのが科学、主観的に捉えるのがスピリチュアルと考えます。
例えば、森を例にすると、
フィトンチッドの成分や量、光の揺らぎ、水の流れる音の波長など、可能な限り言語化、数値化して、誰の目で見ても同じと言える状態にするのが、客観的な捉え方 科学です。
癒されるなとか、綺麗だなとか、逆に、なんか怖いなとか、匂いが嫌だなとか、又は、エネルギーとか高次元の存在を感じるとか、人それぞれで感じ方に任されているのが、主観的な捉え方 スピリチュアルです。
それぞれで捉え方が違うので伝えるのが難しい、自分と捉え方が違うと嘘臭いと思う人もいるのも出てくるのは、無理もないことかなと思います。
とは言え、スピリチュアルをこの定義とすると、全ての人がスピリチュアルなものを持っていると言えるかと思います。
壮大な景色を見て、自然と涙が流れたことありませんか?
神聖な場所に入った時、ヒヤッとした怖れを抱いたことありませんか?
これも、スピリチュアル、魂の躍動なんだと思います。
日本やアジアの文化は、この感覚を大事にしてきたのではないかな。
大事なのは、これを自分の魂が震えてるなと捉えられるかということ。気のせい気のせいと思っている限りは自分のスピリチュアリティには気づけないと思います。
生きている限り、無数の状態が入ってきます。これを、意識的に捉えられるかどうかで、人生全ての感じ方が変わります。
アクセスバーズでも真っ先に習う、コンシャスネス。そんなはずはない、できるはずがないというようなジャッジせず、全てを受け取り、人生を望むように創造する力。
主観的、客観的、どちらがよいのか?どちらが良いとかは無いと私は考えます。
ただし、今の教育は客観的な捉え方だけを良しとする方向で、それはどうかなと思います。
どちらの捉え方も知り、どちらも認め、その上で、それぞれが心地よい捉え方を選べる状態が理想です
次に、科学やスピリチュアルを応用した話になります。
自然を本質として、それを客観的に捉えようとして、五行(全ては木火土金水から出来ている)という考えを生んだり、現代の元素や物理法則を発見してきました。
それを、応用したのが、例えば錬金術であったり、現代のコンピューターや薬であると思います。
応用科学自体に良い悪いはありません。自然のため、愛のためと本質を忘れずに開発、使用していれば良いですが、本質を忘れ、利己的になると大事なものを傷つけます。ナイフも、自動車も、ニトログリセリンも使い方次第で人のためにもなるし、人を傷つけることもできます。
一方、主観的に捉えるスピリチュアルも一緒のことが言えて、私はこう感じるというのを応用していったのが、ヒーリング、占い、チャネリング、宗教など、様々な方法があると思います。
同様に、本質を忘れずに使っていれば良いものですが、本質を忘れて自分や自分の所属する団体が得したいなどと考え始めると、そこにランクが生まれ、争いが始まります。呪いや魔女狩り、また、宗教をもとにした戦争や事件はたくさんありましたね。
結局、大事なことは、科学もスピリチュアルもそれ自体に良い悪いはないこと、
どちらも否定せず、視野を広げ、たくさんの世界に触れて、自分に最適なポジションを見つけて、本質を忘れずに過ごすことかと思います。
本質を忘れ、形骸化してしまったものに溢れる現代で、自分が本当に大切にしたい本質は何かに気づいてもらうべく、科学・スピリチュアル両面からアプローチできる科学系セラピスト に私はなりたい。
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